ばがぼんど通信―ひとつの世界の可能性
世界の人民のたたかいと現代社会
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東京でもイスラエルのガザ攻撃を非難する行動

「虐殺やめろ」ガザ攻撃を非難 欧州各地でデモ
朝日新聞 2009年1月11日20時42分
 【ロンドン=村上研志、バルセロナ=土佐茂生】欧州各地で10日、パレスチナ自治区ガザを攻撃するイスラエルへの抗議デモがあった。主要都市では数万人規模になり、多くの民間人を巻き込む攻撃を強く非難した。

 ロンドンではイスラム系市民組織などの呼びかけで約2万人(警察発表)が参加。イスラエル大使館付近でも「虐殺をやめろ」と抗議した。白人の男性(47)は「たくさんの子供の犠牲に困惑している」と話した。

 アラブ系移民が多いスペインのバルセロナでは約10万人(主催者発表)が参加し、スペイン内戦中のドイツ軍の爆撃を題材にしたピカソの「ゲルニカ」を描いた旗などを掲げて行進した。

 フランスでは、内務省によると全土で計12万人余りがデモ。ドイツ各地でも計約4万人が参加した。



新宿伊勢丹付近の沿道への人々にアピール


 2008年末から続いているイスラエルのガザ空爆と攻撃に対して、2009年の東京でも連日非難する集会と行動が組まれた。
 1月10日(土)にはイスラエル軍によるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃に反対するNGO関係者や市民ら約1500人が10日、東京都港区で「ピースパレード」を行った。

 「日本国際ボランティアセンター」など12団体が主催。若者や中高年、在日外国人ら幅広い層の市民が参加し、横断幕やペンライトを手に抗議の意思を示した。

 ガザ地区でろう学校の支援を続ける「パレスチナ子どものキャンペーン」この日、札幌や大阪などでも同様のパレードがあった。
 11日には大学教員のよびかけで集会が開催され、250名の市民が四谷東京・新宿の四谷地域センター・ホールにつめかけて対話集会をおこなった。
 終了後は付近の新宿四季の道までデモ行進。
 
横断幕をもってイスラエル糾弾する



横断幕をもってイスラエル糾弾
報告する臼杵博さん


















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レイバーフェスタ2008が開催、ソウル・フラワーなどが出演
 2008年12月20日(土)東京のウィメンズ・プラザホールで「レイバーフェスタ2008」が10時からひかられて280名が参加した。

 今年は例年の3分ビデオに加えて、「ワーキング・プア川柳」も募集して、会場で選評や投票もおこなった。昨今の不況で派遣労働者の首切りや契約社員など非正規労働者のリストラが横行しているなかで、タイミング的にマスコミからも注目を集めてTBSやNHKが集会を取材・放送した。

 演奏するソウル・フラワー・パルチザン集会は最後に「ソウル・フラワー・パルチザン」というソウル・フラワーの少人数編成のユニット(中川敬の三線・ギター、ほかギター、ベース、キーボードの4人だった)が、「立て万国の労働者」「がんばろう」「インターナショナル」「安里ユンタ」などおなじみの曲に、オリジナルの唄も交えた熱いライブで一日の集会の幕となった。

南京事件71周年 12.13集会
「過去と向き合い、東アジアの和解と平和を 南京事件七十一周年 十二・十三集会」報告

 
 十二月となると太平洋戦争開戦日と南京事件の日がめぐってくる。十二月十三日午後二時から明治大学リバティタワーで「過去と向き合い、東アジアの和解と平和を 南京事件七十一周年 十二・十三集会」がひらかれて約三〇〇名が参加した。主催は実行委員会と子どもと教科書全国ネット21。

 集会はもと内閣官房長官で自民党幹事長も努めたことのある野中広務氏の講演ではじまった。「戦争体験と歴史和解」というタイトルで約一時間立ちっぱなしで話をした。
 
●野中氏の話
 自分の記憶では、南京事件を知ったのは新聞報道だとおもいますが、松井石根(まついいわね)中将が馬に乗っている写真と、「バンザイ、バンザイ!」の声が響きあった街頭の「ちょうちん行列」の光景は忘れることができません。
 一九七一年にはじめて後援会の人々と一緒に南京を訪問しました。まだ日中国交回復前のことです。

 そのとき一緒にいった人間が突然倒れたことがあります。その人は戦争当時にここにいたそうです。彼がいうには「当時のことを思い出して突然ふるえがきてしまった」ということです。そしていろんなエピソードを話してくれました。

 彼の話を紹介します。「南京の城内に土嚢が詰まれた家がありました。扉をあけて中をみると、女性と子どもばかりだったので、上官に『ここは女、子どもばかりです』と伝えると、上官が『何をいっているのだ、そのなかに便衣兵がいるのだ、例外なくみんな殺せ』と命じられ、百数十人はいたでしょうか、その人たちをみんな火をつけて殺してしまった。そのときのことを思い出したくないが、夢のなかにでてきます。おそろしいことです」

 一九八一年の時にも、南京虐殺記念館ができたときいて北京にいったついでに訪問いたしました。そのとき「記念館」の壁に「三〇万」という犠牲者数が掲げられていたのを聞いていましたので、大使館から電話をしてもらい、自分は南京で異常な出来事が起きたことについてはわかっているけれでも。「三〇万」という被害者数は検証しようがない、認めるわけにはいかない、ということで、三〇万という数字のもとでは献花できない、と伝えて別なところに献花台を設けてもらいました(それが許されたのは日中交流を進めたいとゆう相手がたの思惑と配慮がはたらいたのでしょう)。ちなみに私が訪れるまで日本の政治家は誰もたずねることはありませんでした。
 さらに幹事長代理をつとめておる時です。一九九八年だとおもいますが、同様に別なところに献花したいといったら、今度の担当者は硬い人間で、それはできないと断られてしまいました。そのときはあなたの机にでも飾ってくれ、と渡してきました。 さらに「抗日南京虐殺記念館」という名称を変えたらいいのではないかとも進言しました。この名称はこれからの日中関係にふさわしくない、三度もここを訪ねてきている俺のことを考えてくれといいました。歴史に忠実であると同時に相互の理解が大事だろうとおもいます。

 日本は先の大戦でのアジアに対しての反省を一度しか表明していない。過去から歴史とむきあって、東アジアの傷というものを見つめて修復するということを民族の責務としてやらなければならない。

 また戦後の未処理の問題も多い。中国における遺棄化学兵器の処理問題などは裁判などで解決せずに政治で率先して解決すべきものだろうが、それについても言及することがなくなってしまった。
 国の将来を想うならば過去の歴史に忠実であらねばならない。わたしには時間が残り少ないが、そのような仕事をしていきたい。
 
 野中氏は小泉元首相の北朝鮮との国交回復と拉致問題解決のことにも触れて、「北朝鮮が日本と国交を回復しようというのはよっぽど日本の側がおおきな見返りを提示していたはずです。それがなんなのかを今は話せませんが、もうすこしで確証がつかめそうです。もし私が殺されたら、そのせいだとおもってください」と物騒なことを語っていた。




ひと斬りの新聞報道資料当時の新聞報道資料


 
 休憩後は「かつて、百人斬りが賞賛された時代があった」題して笠原十九司(歴史学者)氏と能川元一(哲学者)氏のお二人が対談した。
 実は日中戦争当時に新聞に「○○斬り」の記事が報道された事実があり、中国人を斬った話や、親類が「身内の手柄を自慢」するような手紙を新聞社に送ってきたという。




笠原十九司氏と能川元一氏の対談笠原十九司氏と能川元一氏の対談



 「百人斬り」に関する論争や裁判の経過などを紹介し、プロジェクターで「百人斬り」に似たような話が掲載された当時の地方の新聞記事を紹介して、民衆に歓迎された記事だということだ。
 そして当時も兵器としての日本刀について有効性を認めていたようで、切れ味など科学的に検証した研究も存在するという。 当時でも残虐であるとしていて否定する意見も一部あったが、戦略戦争の熱気にのみこまれた。今日から考えると、いろんな問題がみえてくるとして、例として今年の「秋葉原事件」のような誰でもいいから殺す、という理不尽さが共通しているという。そして事実を否定しようとする人は当時とおなじような価値観で現代を考えているのだろうと語り、他者を知る想像力の大切さを強調した。



 
 最後に今後課題として弁護士の尾山宏氏が問題提起をおこなった。

 日本人はアジアでの優越意識があり敗戦により考え直す機会だったが、経済成長により優越意識が復活した。それで過去の問題が克服できない。戦後、ドイツの戦争責任を比較してみれば日本が歴史の和解をしていないのは歴然である。ドイツの例をひけば政治家がリーダーシップを発揮して市民運動のイニシアティブの勢力と結合してそのような展開ができると書いてある。

 日本のばあいは政治については期待できないので、市民、NGOの活動を強めるしかないだろう。日本人の歴史認識にたいして啓蒙活動をしていくことが大切で、このままでは日本は国際社会のなかで孤立してしまう。わたしたちのような市民団体は協力して運動をすすめなければならない、そして戦争の責任を認識して歴史的和解すすめるための声をおおきくしていこう、と結んだ。
 
森達也が田母神幕僚長発言を語る
 ダイヤモンド社のウェブ雑誌「ダイヤモンドオンライン」は週3回くらい更新されて案内がメールでとどく、おそらく連載されているものなどを単行本にするのだろうが、けっこう読み応えがある。
 そのなかでドキュメンタリー作家の森達也の連載はおもしろい。今回は田母神幕僚長更迭問題をとりあげている。

森達也・リアル共同幻想 「幕僚長でなければ適切だったのか?」


 彼はどんな立場でも「思うことや考えることを表明する権利は、いついかなる場合でも保障されねばならない」と語る。

いずれにせよ、「空自トップの位置にありながらこの行動は許されない」との論旨は、(首相だけではなく)ほとんどのメディアや識者においても共通していたようだ。

 僕の考えは少し違う。たとえ航空自衛隊のトップの位置にいようとも、思うことや考えることを表明する権利は、いついかなる場合でも保障されねばならない。いやむしろ、日本の防衛機構のトップの立場にいるからこそ、個人的な思想信条はつねに表明され、多くの人の目や耳に晒され、あらゆる角度から批判されねばならないと考える



 その意味では教員が日の丸・君が代に対して無視する、敬意をはらわないことも認められると思うのだが、しかし問題はそこにはない。
 
 しかし国家意志としては日の丸・君が代への権威を保持しようとして、そのような権利を無視して斉唱、遥拝を押し付けてくる。
 田母神問題も実は自衛隊として彼のような思想をあからさまに表明することは、国家の意思としてはマイナスであるということだ。そこが核心なのである。
 いくら保守的な思想の政治家がいて、自衛隊内部にかつての大戦を肯定している軍人がいても、それがオープンになることはまずいのである。心のなかでは思ってもらってもいいのだが(仮に反戦思想や革命思想がありそうならばまずいだろう、反戦自衛官がでてくることは警戒しているはずだ)、あからさまになることは国家の意思として相反する部分がある、ということだ。

 そこが今の日本の国家と自衛隊のおかれている屈折した状y況をあらわしているのだ。
 
 
ドイツのハイリゲンダムG8サミットの記録映画
G8サミットの記録映画「フェンス」
 G8サミットのメディアセンターについての報告の集まりがあり出席した。

 まず昨年ドイツのハイリゲンダムG8サミットの記録映画『フェンス』をみる。映画は風光明媚とまではいかないが、自然が豊富なハイリゲンダムの街を映しだす。後できくと旧東ドイツの保養地だったところだそうだ。

 そこからG8サミットの防衛のためのフェンスを設置する作業がはじまっていく。サミット開催の準備をたんたんと描写していくいっぽうで、地域の人々のインタビューなども交えていく。
 さてサミットだが、ブッシュ大統領夫妻が到着した様子をお茶の間のテレビが放映している。それを地元のアパートの住人が見ながら、実はすぐ脇の空き地が大領領など世界各国の要人のヘリコプターの到着場所だということを紹介する。

 サミットに反対する人たちの街頭デモのシーン。そして静かな牧草地をデモ参加者が進んでいく。このシーンは美しい、おとなの腰くらいまでの高さの生えた、あたり一面の草。そこを人々がシルエットとして映えている。まるで古代史劇で剣闘士たちが移動しているようだ。

 デモの様子を取材するかたわら、警察の放水車の装置についてのインタビューなどカメラはあくまで客観的で冷静に多面的に事態をとらえようとする。
 G8を説明するナレーションはいっさいないが、不当拘留された学生や人権侵害を訴える弁護士、警備について成果を語る担当者の話などが問題を提起する。
 最後に反対派の人々がごみを整理している、その脇を警備の警官たち数人がとおりすぎる。フェンスが解体されて終わる。

 たった二日間のできごとでさまざまなことがおきた。動員された警官は14800人。開催地のホテルから41キロ圏内での集会の禁止。地域の人々への管理・監視体制、さらに反対する人々への予防拘禁など。
 
 日本のサミットではもっと警官が動員されたようだが、ともかくものすごい厳戒態勢であった。それについては映画終了後に映像資料として報告された札幌の地元のテレビ局の放送が示唆的だった。

 ドイツからネット放送局の記者が取材にきていて、北大に設置されたG8メディアネットワークなどによってニュースを配信している様子なのだが、その記者は軍事政権下のアルゼンチンを体験した出身者で、札幌での反G8デモの取り締まりのありかたが、抑圧的で異常なものと感じてアルゼンチンでの体験を思い出したというのだ。

 日本の異常な状況をこのニュースくらいでしか放映されていないのも、この国の人権状況なのかもしれない。
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